最高裁判所第一小法廷 昭和62年(オ)1047号 判決 1990年11月08日
上告人 大豊運輸株式会社
右代表者代表取締役 濱口正義
右訴訟代理人弁護士 北山六郎 土井憲三 村上公一 岡田清人
被上告人 山本喜美子
同 山本美佐免
同 山本清子
同 山下芳枝
右四名訴訟代理人弁護士 吉田露男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人北山六郎の上告理由第一について
原審の適法に確定した事実関係によれば、本件船舶の運航委託契約の受託者である上告人は、本件船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ、本件事故の被害者である本件船舶の船長に対しその指揮監督権を行使する立場にあり、右船長から実質的に労務の供給を受ける関係にあったというのであり、このような確定事実の下においては、上告人は、信義則上、本件船舶の船長に対し安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
同第二について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)
上告代理人北山六郎の上告理由
はじめに
上告会社が本件事故に関し、被上告人に対し何らの法的責任を負担する根拠の無いことは一審(準備書面(三))、二審(準備書面(二))で各詳細に主張したとおりである。
原判決は上告会社と被上告人(正確には亡柏原進)との関係につき、「運航委託契約」を認定しながら「同契約に信義則上伴う義務」として、安全配慮義務を上告人に課し、「同義務の不履行」が有ったと認定する。
原判決の右論理展開は法令違反(適用すべき法令の不適用)、経験則違反(事実認定の誤謬)に基づくものであり、いずれも判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、以下これを論証する。
第一法令違反
(一) 本件事故による当事者が船主(兼機関長)、船長(被上告人の被相続人)の二名であることは争いないところである。
船舶における秩序維持、安全性の確保、船内作業の施行等については商法、船員法において、船長を最高の責任者として船舶権力を付与するとともに数多くの義務を課している(商法第七〇五条、船員法第二章)。また、船長以下乗組員との雇傭関係の当事者たる船主は、船舶の安全設備等につき、船長とともに全責任を負っている(船舶安全法)。
(二) 右各記載のとおり、船主、船長は法律上はもとより規則上も各種の権限とともに義務を有するのであり、これは本件事故の帰責認定に関しても当然、議論の対象となるべきであるが、原判決では右の点につき全く顧慮することなく、運行契約当事者としての義務のみを論じている。
これは、法律上明示された船主、船長の権限、責任を契約関係の解釈に埋没させる結果を招集し、法律上の地位である船主、船長を無視するものであり、法令の適用違反も極まれりという他ない。
右につき、詳細な検証を行えば、本件事案が船主、船長の権限、責任内の事故であり、この意味で上告会社が責任当事者となるいわれのないことは明らかになる。
御庁におかれては、右につき法律上の権限、責任を留意、審理のうえ、本件事故の帰責者が船主及び船長に存することを以下の事実関係から明瞭に判断されるよう期待する。
第二経験則違反
(一) 原判決は、上告会社の安全配慮義務履行につき、要約すれば、「一般的な安全配慮は認められるが、窒素使用に関しては徹底を欠いたもの」(原判決一八丁裏)と評価し、上告会社には同義務を怠った過失があると認定する。
右論理によれば「窒素使用に関しての十分具体的な指示教育(安全配慮)」なるものが存することを前提とし、これの不履行をもって上告会社の過失とするものであるが、抽象論理はともかくとしてそもそも右のような「……具体的な指示教育」が存するとは考えられない。
即ち、酸欠に対する危険予防という意味では、その原因が窒素であれ何であれ、対策としては(本件ではタンク内の)「検知→置換」が唯一の方法であり、他に対策は考えられない。要はタンク内の気体を「入れ代えること」が対策のイロハであり、又、それに尽きるものである。
右方法は酸欠の原因がどのようなものであれ、共通の唯一の対策であり、そもそも原因ごと(例えば、発生原因たる気体ごと)の対策なるものは存しない。
この意味で、原判決の言う「窒素使用を前提とした具体的な指示教育」なるものは、机上の抽象論理の域を出ないもので、現実にはかかる「具体的な指示教育」は存しない。もし、これが存するというのであれば、「具体的教育とはどのようなものか」判決文において教示されたい次第である。
(二) 上告会社としては、上告会社の行った安全配慮を以下再述し、これが充分具体的であり、逆に言えば、これ以上、具体的な教育なるものが存しないことを明らかにする。
(イ) 上告会社は昭和四〇年代半ばからの危険物運輸に対する安全管理の厳格化に伴い安全担当の専従者を設置することとし、当時の管轄海運局職員であった石尾勇二を当該担当者として招聘した。同石尾は昭和五二年六月、上告会社に入社し、海務部長として、日夜、これに精励した。上告会社には従来から「船舶安全対策委員会」が存していたが、この運営規則を立案し実行した(<証拠>)。
同委員会は「社船、受託船の安全、災害防止」を目的とし(同規則第三条)、月一回の月例定例会を開催した。
同定例会において各種安全教育を実施するとともに、同定例会欠席者(とりわけ受託船主)には、同会資料を郵送し、訪船(後述)の際に、同資料に基づき指導、教育を行った(<証拠>参照)。
(ロ) 石尾の日常業務は自社船、受託船への訪船が主たるものであり、月平均約二〇隻に及ぶ船舶に訪船し、各船の船上で前述資料等に基づき指導をしてきた。本件、第一栄勢丸についても少なくとも二回の訪船は確実である旨証言している。
(ハ) 右訪船時は船舶の設備を実際に点検するのはもとより、運送品、とりわけ危険物の取り扱いについては資料をもって常々注意していた。本件事故との関連では柏原宛交付済の「危険物取り扱い心得……」(<証拠>)を基に、「運送品荷役中の心得、タンク洗浄時の心得」を指導した。同心得でも圧力荷役に際し「エヤーに替えて、窒素を使用することを禁止」している(同心得四頁(7) 最後二行参照)。同じく、タンク洗浄時には「保護具を着用。ガス抜きを行った後でなければ入ってはならない。二人一組で入ること」(同心得五頁、5(1) (イ)~(ヘ)参照)等、事細かに酸欠の危険性とその防止の教育を行っている。
世に存在するありとあらゆる酸欠原因(列挙すれば無数となろう、例えば温度の変化のみで生ずる場合もある)につき、そのひとつひとつを前提とした指導迄はしていないとしても(そのようなことは不可能である)、酸欠の原因、状態、その予防について方法を具体的に提示し詳細に指導している。
(ニ) 石尾は訪船時、柏原および亡船長に対し、検知具の設置を勧告した(<証拠>)ところ、柏原は「郷里の船具店で買う」と答えた。因みに同検知具の法律上の設置義務者は船舶所有者(柏原)である(船員労働安全衛生規則、第四四、四五条、念の為別添)から、石尾としては右勧告にとどめ、船主が設置する旨の右返答により、当然船主が設置するものと考えていたが、船主においてこれを履行することなく本件事故に至ったものである。
右(イ)~(ニ)で各明らかなとおり、上告会社は「安全担当専任者を設け、酸欠の危険性とその予防策を資料と口頭で説明し、検知具の設置も指導していた」が、不幸にしてそのことごとくを履行しなかった亡船主、船長らの行為(即ち、上告会社指摘にかかる酸欠予防策の不励行、法律上船主に設置義務の存する検知具の設置未了)により本件事故が発生したのである。即ち、上告会社は原判決の要求する安全配慮はもとより、それ以上の教育を行ってきたものであり、船主、船長らがこれに反した結果生じた本件事故に関し安全配慮不履行をもって論難されるいわれは毫も存しない。
(三) 原判決は事実認定に際し
(イ) 窒素使用の可能性が存すること(一八丁裏)
(ロ) カーゴポンプの出力が十分でなかったこと(一四丁表)
をも認定し、上告会社の帰責の判断資料としている。然し、右はいずれも推測をかさねたものに過ぎず、事実認定としては根拠薄弱と言わねばならない。
原判決は、窒素使用の可能性を列挙のうえ上告会社に予見義務を課するが、ここにおいてこそ、事故者が船主、船長であることを論じなければならない。一定の資格、経験を経た船主、船長との関係において、同人らが、窒素に対する無知を前提とした予見迄は到底考えられない。カーゴポンプの出力不良も確たる資料なく、推測に過ぎない。
これら推測、不可能な予見を前提とした上告会社への帰責は経験則違反が明らかである。
おわりに
本件各当事者の関係が下記のとおりであることは争いない。<図 省略>
既述のとおり、本件事故は直接的には「船主としての設備設置義務」「船長としての船舶上における作業の安全配慮義務」の各違反に基づいて発生したものであり、本来なら「船主←→船長」間での係争が通例のところである。ただ、両名とも死亡されているため、又、資力の点からも上告人を責任者として訴訟提起に至ったものであろうが、上告人こそ本件事故において荷主との取引上、測り知れない損害を蒙むっている(例えば、当時の荷主との取引は現在でも本件事故を理由に再開されていない)。
上告会社こそ、本件事故惹起者に右取引上の損害賠償を考え得るのであろうが、遺族の立場を配慮し、これを控えた。
右各経過から、本件事故の真の責任者は「船主及び船長」であることが明確である。
(添付船員労働安全衛生規則条文省略)